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青春時代の雄としての”強烈な敗北体験”がMAMOの根っこをつくっているという話

こんにちは! MAMOの半田です。
今日はMAMOの商品の根っこの部分のお話をさせていただきたいと思っています。
根っこの部分の話しをするためには、半田という人間の恥ずかしい過去をお話しする必要があるので、いつもに増して属人的な話になってしまいますが少しお付き合いいただけたら嬉しいです。

フォルムへの異常なこだわりを生むきっかけになった学生時代の悔しい経験

MAMOのアイコン商品といえばレスリングシングレットになるのですが、特に2020年2月にリニューアルしたニューモデルは、フォルムに異常にこだわってつくりました。
世界のどのシングレットよりもカットラインがシャープになっているはずです。
おそらく世界最多になる11におよぶパーツを1着の中で絶妙にバランスさせています。

なぜ、ここまでつくりこんだのかというと、従来の“のペ〜”としたフォルムのシングレットに野暮ったさを感じていて、シングレットメーカーとして圧倒的にかっこいいものをつくりたかったという思いがあったからです。
フルカラー印刷で誤魔化すのが嫌だったというか。

そもそも、私が着るもののフォルムにこだわりだしたのは大学一年生の苦い経験がきっかけでした。
私は京都府の海沿いの田舎出身ですが、中学、高校はレスリングに100%のエネルギーを注いでいて、私服を着て遊びにいく機会なんて修学旅行くらいなものでした。
そのため、高校までは自分で私服を買ったことがなく、母が適当に買ってきた服や男勝りな姉のおさがりを必要な時に着ていた程度でした。
基本的にはジャージと制服があれば99%事足りていたので、高校時代はそれで十分でした。

しかし、大学に入ってからはそうはいきません。
進学した大学は神奈川県の専修大学で、学内にはおしゃれな同級生がウヨウヨいました。
同じ体育会の仲間もおしゃれな奴らばかりで、正直、「大学にも制服があればなあ」と本気で思いました。

そしてある日の少人数の授業で、体育会の仲間から私のダサい服を大きな声でイジられたことがありました。
同じグループには女子もたくさんいて、雄としての強烈な敗北を味わったことを覚えています。
その経験が悔しくて悔しくて。。
私はそれ以降ファッション雑誌を読み漁るようになり、少ない小遣いを貯めては週末に洋服を買いに出かけるようになりました。
とはいえ、潤沢な資金があったわけでもなく、毎回何かを買えるわけではありません。
気になる商品があれば試着して、本当に気に入ったものだけ買っていました。
その時に大事にしていた基準が、「自分の身体にあった丈感、幅感」です。
私は身長が164センチの小柄で、当時痩せ型ではありましたがレスリングをしていたのである程度ガッチリしているという難しい体格でした。
だから、シャツ、パンツともに基本ゆったりしているけど末端にかけてテーパードがかかっていて、袖や裾が短めなものを自ずと好むようになりました。
ただ、なかなか納得のいく服は見つからず、だからこそやっと見つけたお気に入りの服はくたびれるまで着倒す癖がつきました。
1センチの誤差が気になって仕方がなかったので、そこへのこだわりは異常だったと思います。

社会人になってスーツを褒められた経験が自信につながった

人間を変えるのは強烈な敗北体験とよくいわれますが、私の場合はそれが私服へのこだわりだったように思います。
ここで断りを入れておくと、決してオシャレさんなわけではありません。
汚れていたり穴が空いているもの(臭いのは絶対に嫌だ)も、カタチが好きであれば気にせず使っているような人間なので、そこを汲み取っていただけたらと思います。

そんな学生時代を経て、私もついに社会人になりました。
私が就職した会社では男性はスーツ着用を義務付けられていて、また制服生活に戻った気分でした。
ただ、学生時代の制服とは違い、スーツは色、カタチ、ネクタイやシャツとの組み合わせなど様々なバリエーションがあって、個人のセンスが問われるものです。
社会人一年目はお金もなくブランドスーツなど買えるわけもなかったので、洋服の青山でセミオーダースーツを2パターン繕ってもらいました。
店員さんには非常に迷惑だったと思いますが、2時間くらい粘って「裾をもう少し短く」や「ひとつまみ分絞ってください」だとか、徹底的にこだわったことを覚えています。
選んだカラーはグレーの薄いチェック柄と、ネイビーのベタ柄。
ネクタイは、グレースーツには濃いネイビーのベタ柄を、ネイビースーツには薄い水色を組み合わせました。

その2パターンを日々着まわしていたのですが、入社して1ヶ月が経ったある時、私がオシャレだなあと思っていた男性の先輩社員から、「半田の着こなし俺好きだよ」と言われたことがありました。
また、その数日後に他の先輩社員から「センスいいね」と言われて、これまでに着用するものに強烈なコンプレックスを抱えていただけに、それらの言葉は飛び上がるほど嬉しかったです。
それから5年が経つ現在(2020年7月)でも、その2着を大切に使っています(流石にそろそろ切り替えないといけないですが)。

長くなりましたが、そんな青春時代の経験が現在の私の着用するものへのこだわりを生んでいます。
だから、自分がつくるものにはそれ以上のこだわりを持ってつくってしまうし、ましてや人生の大半を注いできたレスリングの試合技をかっこよくしたいと心底思っているので、中途半端なものはつくれないわけです。

以上、青春時代の雄としての強烈な敗北体験がMAMOの根っこをつくっているという話でした。

誰しも、似たような経験があるのではないでしょうか?
どんな苦い経験も、捉え方次第で起爆剤になるものですね。

では、本日はこんなところで!