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おじいさん社長の粋な計らいがあってMAMOが誕生したという話

こんにちは! MAMOの半田です。

本日のブログでは、レスリングウエアMAMOがどのようにして生まれたのか。そんな話をしていきたいと思います。
その裏側には、私が心より尊敬する師である、おじいさん社長の粋な計らいがありました。

シングレットをつくるきっかけになった3年間

私はレスリングウエア事業を開業する前、埼玉県のエンタメグッズ製造会社に勤めていました。学生時代にバイト経験もなく、私はここで社会人としてのあらゆる基礎を一から教わりました。ここでは主にアニメグッズやライブグッズといったエンターテイメントに関わるグッズをOEM製造する企画営業を担当していました。

OEM:
original equipment manufacturerの略。他社ブランドの製品を製造すること、またはその企業である。 日本語では「相手先(委託者)ブランド名製造」、「納入先(委託者)商標による受託製造」などと訳される。

そして、同じ会社の他の部署にスポーツ事業部という部が存在していて、そこでは主にスイミングスクールに対してオリジナル水着をOEM製造する仕事をしていました。私の配属はスポーツ事業部ではなかったのですが、これまでのレスリング経験と水着製造のノウハウを掛け合わせてレスリングのシングレット製作を会社の資源を使って趣味的に進めていました。

そしてようやく形になったのが入社3年目にあたる2017年。
ただ、当時のシングレットは水着に毛が生えたようなもので、生地の伸縮性や形状、デザイン。どれを取ってもまだまだ改良の余地がありました。

人生の転機。おじいさん社長の粋な計らい

私はこの会社に入る前から独立野心があり、面接の時から「将来は自分で事業をしていきたい」ということを伝えていましたので、ちょっとイレギュラーな社員だったはずです。けれども、当時のおじいさん社長はそんな私を快く受け入れてくれて、その代わりに、「うちで結果が出せないようだと社会では通用しないよ」と厳しい言葉もいただきました。勝手ながら、私は入社して3年間その他の社員とは別に、事業家としての心構えをおじいさん社長に叩き込まれたように思っています。

本当に色々な学びを得ながら3年間が経ちました。

入社前のおじいさん社長からの一言が引き金になり、私は3年間がむしゃらに数字を追い求め、3年目に目標としていた粗利1億円を達成するに至りました。

すごく嬉しかったですし、とてつもない達成感に包まれたのを覚えています。

しかし、このまま数字を追い続けていくことへの恐怖、また、そろそろ環境を変えて自分で仕掛けていきたいという思いも合間って、3年で会社を卒業することを決心しました。

その際に、じっくり開発してきたレスリングシングレットを手放すのは心許無く、今後も自分の手で育てていきたいう思いが込み上げてきました。もちろん、会社を離れた後に激減する収入を支えるためという合理的な理由もあったとは思いますが、すでに私を信頼してくださっていたお客様や何度も無理をいって微調整していただいた工場など、シングレットへの収入面以上の愛着があったことは間違いありません。

そんな思いを抱いて、おじいさん社長に「レスリングウエア事業を自分の事業としてやっていきたいです」と直談判することになるのですが….

普通であれば、会社の資源を使って開発されたものは会社に帰属するので、レスリングウエア事業を持って出るなど許してもらえるわけがないと思っていました。しかし、直談判した後、おじいさん社長からいただいた言葉は、

頑張ってください。

の一言でした。

ありがとうございます。ありがとうございます。と、ただただ。

それだけではなく、さらに「うちを通さず、工場と直接やってもらって結構です。」と…

早く顔向けできるように立派になりたい

そんなおじいさん社長の粋な計らいがあり、レスリングウエアMAMOは誕生しました。
会社を卒業した後もおじいさん社長には必ず年賀状を送って一年の報告をしています。
本来であれば、顔を出してご挨拶をするところ、まだ私の中で納得のいく結果を残せていないので、あえてそれを控えています。

そんなおじいさん社長も今年で75歳になるでしょうか。(2020年7月現在)

まだまだ元気だとは思いつつも、早く立派な姿を見せられるよう日々努力していきたいと思います。

以上、おじいさん社長の粋な計らいがあってMAMOが誕生したという話でした。
たくさんの思いの詰まったMAMOレスリングウエアはこれからもどんどん成長していきます。
今後ともお付き合いのほど、よろしくお願いいたします!